I think so 思う

めざせもののほん

ムービー つくりかた(未来の俺に捧ぐメモランダム)

①ストーリーラインを書く

これがしっかりしていないと、作業の手戻りが多くなる。 イメージとしてはパワーポイントでの資料作成に近い。紙とペンで行う作業段階でどれだけ詰められるかで、あとの手間が変わってくる。逆に、ここがしっかりできれば優勝が約束されると言われている。 編集をはじめてから、そもそも素材が足りないなどの事態を発生させないためにも重要。

②素材を適切に集める

特に各自に自身の撮影を依頼するなど、自分が撮影に加わらない場合に注意が必要。当たり前のようでいてそうでない。

【画質編】

ラインやSMSで動画を送ると、送信時に大なり小なり動画が劣化する。特にSMSで長めの動画を送ると、もう引くくらい劣化する。 そのため、なんらかのサービスを用いてファイルを回収する必要がある。Dropboxのアカウントがあるならファイルリクエスト機能が便利で、アップロードしてもらう際に登録等が不要で手間をかけない。その他、宅ふぁいる便的なサービスでも良い。

このご時世、撮影機材のかなりの割合がスマホのため、縦撮影動画が手元に届き崩れ落ちそうになることもしばしば。横撮りの指示を忘れずに。また、特に指定のない限り、横で撮りましょう。大事なことなのでもう一度言いますが、横で撮りなさい。(ただし、編集担当が気にするほど、見る側は気にならないという説もある)。

【音声編】

経験上、音が問題になるケースの方が多い。画質はだいたい上記で解決する。 屋外で取る場合は注意が必要。背景音と風切り音に注意。縁故のある人(撮影者と特に親しくない人)を撮影しにいく場合は、やり直しが難しいであろうから、ロケハンテストが丸いと思うが、それでも限界がある。3000~5000円くらいの比較的現実的な値段でそれなりに効果の有りそうなマイクも買えるっぽいが、それよりスマホ2台態勢(録画用、録音用)の方が現実的か。 また、意外なほど風切り音が入る。風が強い、と感じる日は特に注意。マジでビビるくらい聞き取れない。

→こういった即席ウィンドスクリーンを使うのも手? https://www.youtube.com/watch?v=zFlugZcbss0

→これらは残課題です。

→→きちんと録音できるのが一番だが、そうでなくてもわりと字幕でなんとかなる。(加えて、編集担当が気にするほど、見る側は気にならないという説もある)

③気合で編集する

MacなのでiMovieでつくってる。フリーソフトだが大抵のことは出来る。出来ることが多くなれば、習得にも多くの労力を要するので、落とし所としてちょうどよい具合だと思っている。ただ、手軽さの裏返しで、

  • 複数の要素を重ね合わせる機能が乏しい(映像は2つ、画像1つ、字幕1つが上限。位置指定の自由度も低い)
  • 字幕機能が異常に弱い(位置調整の自由度に乏しい、改行が無秩序、字詰めが引くくらい甘い。ジョブズも天国で泣いてるゾ)

といった弱点を抱えているので、ちょっとでも凝ったことをしたい場合は 「Keynoteでスライドを作成→pngで書き出し→余白透明化 で素材作成する」 が、結果的に楽だという結論に至った。

→やり方はこれ https://qiita.com/na1412/items/90a9641d9644e1bfbb49

①〜③共通して、逆説的ではあるが「動画作成ソフト以外の作業労力を増やせば増やすほど、総合的な労力は減少する」。こういうことは、力強く言い切る気概と勢いが重要である。

④納品するまでが遠足

スケジュールに余裕を持つこと。火曜日撮影、火水木編集、金曜納品及び動作確認、土曜上映というスケジュールでもなんとかなるが、なんとかしないほうがよい。

予め上映環境を想定して作り始めること。大抵の式場には注意点etcをまとめた指示書がある、と思っていたが意外とそうでもないらしい。

Macの場合、意外とDVDに焼くのもめんどくさい。結論としてiDVDで焼くのがよい。検索すると、驚くほどの量で死ぬほど雑な有料ソフト群のステルスにすらなっていないダイマ記事が殴りかかってくるが、ひと手間かければ(OS10.14.6なら)iDVDが使える。無料。

結論

こういうのをちゃんと書き残しておかないと、無限に車輪を再発明し続けることになる。

ソフ・イズ・ゴーン

祖父が死んだ。早すぎるということはない、むしろ長寿の部類であろう。「次の正月は、もう迎えられないだろう」父がそう言ってから、3回は年を越し、4回目が迫るタイミングだった。このあたりが最高に祖父らしい、と感じる人だった。

祖父はいわゆる特攻くずれであった。特攻くずれにはアウトローな意味があるらしいと最近知ったが、他にどう呼べばいいのかわからない。自ら志願し、しかし出撃を待たずして終戦を迎え、焼け野原になった広島を目撃し、京都に帰ってきた。物心ついたとき、祖父宅はクリーニング屋 兼 時計屋だった。その後、自転車屋のようなこともやっていた。脈絡のなさは当時から感じていたが、上記の前にも、銀行員をはじめとして、数多くの職を渡り歩いていたらしい。それというのも、彼が7人きょうだいの長兄であり、弟妹を養うために、可能な限り、多くの収入が必要だったからだという。父が物心ついたときにも、まだ末の妹と同居していたらしい。そんなことは、ついぞ知らなかった。すべて、法要の場で知ったことである。そういえば、米兵相手に商売をしていたと聞いた気もする。破天荒である。孫と言っても、知らぬことだらけである。

年齢が年齢だし、体調も体調だった。いつ知らせが来てもおかしくない状態が続いていたし、その覚悟も出来ていると思っていた。いざ実際にそうなってみれば、想像していたより、悲しく感じた。折しも台風が東日本に迫る中、平日の日中にも関わらず満員の下り新幹線で実家に向かいながら、絶対的に不可逆な死というものを思い、己の想像力の不足を痛感した。分かったような気になってはならない。そんなことは分かっているが、分かっていない。

両親は共働きで、祖父母宅は徒歩圏内だった。平日、保育園や学童から帰る先は、祖父母宅だった。親代わり、とまで言ってしまうと両親に失礼な気もするが、一般に言うじいちゃん、ばあちゃんよりは、はるかに恩があるのは間違いないだろう。 ロクに孝行もできていないが、妻の顔を見せることが出来たのは本当に良かったと思っている。なぜか、救われる思いがしている。当時すでに、かなり痴呆が進行していた。どこまで理解してもらえたか。しかし、それでも。勝手に悔いて、勝手に悲しみ、勝手に救われて、それで何が悪い。法要も、通夜も、葬儀も、この文章も、あらゆるものは生きている者のためにある。

じいちゃん、ありがとう。合掌。

ジェネルンを 広めて稼ぐ 小銭かな

 皆さんのご協力のおかげで小銭がもらえます。

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新型ジェネルンもよろしくお願いいたします。

 

食洗機も最高なのでぜひ買ってください。 

 

豆知識:東京ドームシティのジェットコースターでYouTuberごっこするには10万円かかる

ここ数年で一番買ってよかった文房具は「板」

前略、

ガジェットも好きだが、ローテクな文房具も好き。

ノートだったりペンだったり、学生時代からいろいろ買い漁り続けている。 その中で、ここ数年で買ったもので一番よかったものを考えたら板だった。

いわゆるクリップボードというやつ。

  • とにかく薄くて軽い
  • そのかわり挟める紙の枚数は少ない(というか挟むというほどしっかり固定してくれない)
  • 裏側のホルダーも2〜3枚くらいしか入らない

とにかく軽くて薄いことに全フリしており、誰でも便利に使える、というものではない。その分、紙を貯め込むではなく、 都度データ化(テキストに起こす、写真撮る)してシュレッダー、という流れを自然につくれるのがよかった。 じっくり考えたい・明日に持ち越したい内容も2〜3枚分厳選すれば保留できるのでちょうどよい。

というわけで皆さんも板買ってください。板。安いし。

近況

ナンバーガールのチケットは無限に用意されない。登山と深夜ドライブは楽しい。気に入らないことがあってもツイッターでキレ散らかしてはならない(自戒)

以上です。

令和初期に於ける生活の知恵

前段

Evernoteにいろいろメモを残すのが半分趣味みたいになっているが、その中に自己流のライフハックみたいなものが散逸しているので、元号変わった記念にまとめておく。時間経ってから見返すと面白そう。

1.アウトプットする

いろいろ考えることはあるが、それをどこかにためておく。こんなふうに人に見せてもいいし、別に見せなくても良いと思う。しかし、時間が経ったときに誰か、少なくとも自分自身がその時の思考を読み取れるくらいにしておくと捗る。巨人だけでなく、自分の肩にも乗ったほうが良い。

2.適度なランダムさを持つ

おっさんになるにつれて、ある程度自分の好みというのは固定されてくるが、同じ著者の本ばかり読んだり、好きな曲ばかり聴き続けるのも虚しい。 定額配信サービスでプレイリストを探す、書店や図書館に行って本棚を眺める、セールになっている本を買う、Twitterで見かけた本を即買うなどなど、偶発的にモノに出会う機会を意図的につくる。

3.「しない」ではなく「する」習慣が重要

昔から本当に家で勉強できない人間だった。ので、自習室やマクドミスドを使い倒し、受験を乗り切った。今も家で仕事や作業は極力しない。出来ないから。自分ができないことは潔く諦めて、できることで代替することを目指す。休日にダラダラしない、ではなく、朝10時には家を出る、というように。

4.三日坊主と一夜漬けを積み重ねていく

指導教官から、一夜漬けでもいいから、密度高くやり、それを積み上げていくことが重要だという言葉をもらった。三日坊主でも同様で、三日はやっているので十分だとすら思う。やらないよりは、やったほうがよい。

5.全ては肯定することから始まる

否定することは簡単だし楽である。他方、肯定することは難しいと同時に重要である。 「人は老いると新しいものを受け入れられなくなるのではない、新しいものを受け入れられなくなると老いが始まるのだ」とはよく言ったものである。

6.記録できることは記録しておく

こまめなメモ、写真をとっておく、それらに位置情報を紐づけておく。買ったもの、捨てたもの、起床・就寝時間、体重、トレーニングメニュー。映画、ライブ、美術展など、触れた作品の感想。自動化できるものは自動化しておくと続く。かつ、それらをなるたけ一箇所にまとめておくとふとした拍子に見返した際にあまりにも面白い。記録しておけば、記憶しておける。

7.長い時間触れるものには投資する

具体的にはPCやペンなど。iPhoneSEを使い続けているあたり一貫性には欠ける。

8.健康と金を損ないすぎないストレス解消法をもつ

ジム通い、読書、サウナあたりがマイブーム

9.各曜日にイベントをもつ

月曜日にヤンマガを読む、水曜日に#cnann0を聞く、木曜日にモーニング読む、金曜日にきのうなに食べた?を見る、日曜日に#annkwを聞く。なんとなく日常に締まりが出る気がする。

2018年の買ってよかったものは、ジェネルン・ドングリ・Google home mini

結論

2018年買ってよかったもの3選は、ロボット掃除機、トゥルーワイヤレスイヤホン、Google home miniです。

ロボット掃除機

安心のAnker社製品その一。「人が普通に暮らしているだけで、こんなにホコリが溜まるんや」と気付かせてくれる。 上位機種のルンバetcと比較した際に劣るのは

あたりだが、ペットを飼っていたり広い部屋に住んでいたりしない限り問題にはならないと思う。 また、この機種が音が静かなのがよく、「テレビとの同居も頑張れるくらい」「別室で動いていると、ほとんど聞こえないくらい」。 日々の家事の時短、働き方改革、ペット替わりなど、様々な角度で本当におすすめ。

トゥルーワイヤレスイヤホン

安心のAnker社製品その二。「イヤホンのケーブルこんなに邪魔やったんや」と気付かせてくれる。 過去にワイヤレスイヤホン(両耳がつながってるやつ)の充電が面倒でいまいち活用しきれなかった記憶と下記のような懸念が頭をよぎりつつも、プライムデーで勢いよく衝動買して正解でした

充電が面倒そう→大丈夫

全く問題無かった。本体(耳に入れるドングリ部分)は3時間程度だが、ケースがバッテリーを兼ねるため、毎日通勤+α程度の使用であれば、1週間に1度も充電しなくてよいくらい。過去のんよりも格段に楽。

音の途切れそう→大丈夫

朝の山の手線で特に問題ないため、ストレスなく使えている

失くしそう→半年大丈夫

5000円切るような商品もあるが、あえて比較的高価なものを買うことで失くさない(という強い気持ち・強い愛)。あと、「外すときは必ずケースに入れる」を徹底するとよい。

Google home mini

store.google.com ニュース流したりやSpotify連携したりでBGMに最適、料理中に声でタイマーを設定可能、天気予報や時刻確認が朝に便利などなど、単体でも使えないことはないが、わざわざ買うほどでは無いと思う。赤外線学習リモコンと連携するなど、家電を操作できる状況を整えると本当に便利。有志作成のどちゃくそ有能サイトを参考にシコシコやるか、そもそも対応しているややお高めの商品を買いましょう。あとminiはすごい頻度で半額セールやってるので待つのが吉。

ソフ・ウィル・ダイ

人はいつか死ぬ。事実、死ぬ。

祖父が、もう永くない。かつてはいつまでも死なないようなバイタリティを感じる人間だったが、その活力は、数年前に病を患って以来、鳴りを潜めた。いや、至って普通の老人であるということがよくわかっただけなのであるが。今にして思えば、祖母が亡くなったことが大きな転換点であった。

おしどり夫婦というのかなんというのか、仲がいいのは知っていたが、ここまでとは思わなかった。夫が妻に先立たれるよりも、妻が夫に先立たれる方が、寿命に与える影響が大きい、というのは聞いたことがあるが、それを地で行く、といったところ。

実家の近所に、祖父の書いた絵が飾ってある。地域の子供達を見守ろう、という趣旨のポスターで、白黒の印刷に塗り絵の要領で描いた絵である。ある区画に複数枚かざってあり、このままいけば、祖父よりも、絵のほうが長生きするだろう。手先が器用な人だった。絵や字がうまく、そのいずれも、孫である自分に遺伝していなかったが、おそらく父にも遺伝しておらず、そもそも遺伝に期待するようなもんでもないが。

祖母の葬儀には、出ることができなかった。遺影に手を合わせたのは、葬儀の数日後である。祖母の遺影の前で手を合わせながら、泣きに泣いた。ドラマのように、涙が溢れてきた経験は、さほど多くない。その後、祖父と二人、煙草を吸った。久しぶりに吸ったと泣きながら笑っていた。細い細い、そして軽い煙草だった。こんなもの女が吸うよな煙草だが、今の自分にはちょうどいい、とも。灰皿が家になかったのだろう、空き瓶に水を張って灰皿の代りにして。二人で一本ずつタバコを吸い終えるまで、お互い、何も喋らなかったように思う。ただ、煙だけが立ち込めていた。思えばあの数分間が、祖父と孫、つまり大人と子供ではなく、男と男として、彼と向き合うことの出来た数少ない機会だったのだろう。あのとき自分の目の前で椅子に腰掛けていたのは、ばあちゃんを亡くして悲しむじいちゃんであると同時に、妻を亡くして泣く夫であった。

ロシアはイルクーツクバイカル湖を訪れた際、湖のほとりの高台に、日本人の墓地があった。祖母の親しい親戚が、シベリアに抑留されていたと聞いていたから、彼が当時親しくしていた友人が、もしかするとこの下に眠っているのかもしれない。そう考えると、人生のめぐり合わせの儚さを感じた気がした。

もうすぐ、ジジイはくたばるだろう。実家を離れて暮らす俺に、無理して葬儀に来なくてもよい、と父親は言う。だからその分、生きている間に、実家に帰る機会があれば、必ず顔を見せるようにしろ、と。このあたりの価値観が擦り合っているのが大変助かる。かつて、祖母の三回忌だったかで、坊主が10分ほど遅刻してきたことがあった。その際、父親の取った行動は、その分お経を短縮するように要求する、であった。無茶苦茶である。そしてそもそも遅刻してくるな。葬儀にしろ、法要にしろ、死者のためではなく、生きているもののために存在するのだと思う。遺影に手を合わせ、故人に思いを馳せるとき、救われるのは死者ではなく、遺された側である。

もうすぐ、祖父は死ぬ。どれくらいあとかはわからないが、俺も、死ぬ。そんな当たり前のことを、こうして言葉にして刻んでおきたい。悲しめるのも、遺された側だけである。