I think so 思う

めざせもののほん

いつかは俺が餅を千切ることになると思っていた

あなたの実家は厳しい方だろうか。両親との関係はどうか。それぞれに思うところはあっても、結局は人による、としか言えないのではないか。
家族と良い関係を築けているなら、まったくもってあなたのおかげであり、 残念ながらそうではないのなら、それは一切合切あなたの責任ではない。


恵まれていようが恵まれていなかろうが、その受け手となるのは当人しかおらず、 当人以外の人間がいたずらに触れるのは愚かなことだと思う。 せめてお前は恵まれている・あなたは恵まれていない、 と呪われたくないし、呪いたくもない。


しかしまあ、世の中に緩い家と厳しい家があるなら、自分は、緩い家だったと思う。
金髪も、ロシア旅行も、二輪も、連日深夜に帰宅するアルバイト生活も、特に反対された記憶はない(覚えていないだけの可能性はある)。しかし、年に一日だけ、自由が許されない日があった。

12月30日、餅つきの日である。

餅をつく、というよりも生産する、という方が近いかもしれない。
杵と臼なんぞ使わない。電動の餅つき機である。 レクリエーションではなく、生産だからだ。
もち米を蒸すのは竈である。ガス火なんぞでとろとろ蒸していては日が暮れてしまう。


自宅で食するだけではなく、檀家として近所の寺に納めるためでもあった。 とても一般家庭とは思えない設備で蒸しあがったもち米が機械で捏ね上げられ、餅となる。その出来上がった餅――熱を帯びた巨大な塊――を必要な大きさにちぎっていくのは、場の主である祖母の役割だった。


祖母が千切った餅を丸める、丸める、丸める。 餅を丸めたり、整形された鏡餅をうちわで扇いで冷ましたりすることが、物心ついた頃から私や兄の役割であった。


そして、いつかは、つき上がった餅をちぎる役割りに回るものかとおもっていた。


先述の通り、つきたての餅は非常に熱い。炊き上がってすぐの炊飯器に手を突っ込んで、おにぎりをつくる行為を想像してもらえると、たぶん近い。そんな異常で慣れと技術が必要な役割を担う、それが大人の役割であるように思われたからである。基本的には祖母が担当し、いくらかは両親にも”相伝”されていた。


数年前から、餅つきの規模が大きく縮小された。
理由は単純、生産者の高齢化である。 それでも、細々とは続けていくものと思っていたが、ついに昨年、完全外注となった。まあつまり普通に餅屋から買ったというだけですが。餅屋、餅は餅屋という言葉以外でたぶん初めて使ったな。


そんなわけで、あの家で餅がつかれることはもうなく、私が餅を千切る日は訪れそうにない。
中小企業の倒産・廃業理由の多くは、後継者の不在である、 と聞き及んでいたものの、まさかこんなところで、 それを実感するとは思わなかった。


自分の家で餅をつく、なんてことは田舎では比較的ありふれたことだろうし、それが突然終わりをむかえるのもまた、よくある普通のことであると思う。普通とはなにか。歳を食っても分からないことだらけである。


この文章、2年前の年末年始に8割方を書いて寝かせていたものだった。その間、さらに老人たちの老いは進み、鬼籍に入った者もいる。合掌。
書き始めた当初、結局なにが言いたかったのかは、自分でも最早よく分からない。しかしともかく、普通という言葉で、他人を呪いたくもないし、他人に呪われたくもない、という決意と願望を新たにしたことは確かである。今年もお世話になりました、来年もよしなにどうぞ。