I think so 思う

めざせもののほん

できればムカつかずに生きたいし、読みたいものを書きたい

タイトルだけ大賞なる賞があり、そもそもその存在自体が面白い。できる男は乳首で決まる、どういう人生を歩んだらその題で出版しようという意思決定に至るのだろうか。

さて、一番好きな本は何かという問いは、一般に極めて答えるのが難しいと思うし、実際非常に悩むところだ。しかし、一番好きな「本のタイトル」と問われれば、即答できる。「できればムカつかずに生きたい」である。

高校時代、本を読むのが好きだった。が、本屋で新刊を買っているとあっという間に金が尽きてしまう。友人や先生から借りたりもしつつ、もっぱらブックオフで100円コーナーを徘徊するのが好きだった。その際、文庫本コーナーに並べられていたこの一冊、正確にはその背表紙を見て、電撃に打たれたような感動を覚え、即座に購入し、しかしそのあまりのタイトルの良さから逆にすぐに読むことはせず、1週間くらい寝かせてから読んだ記憶すらある。

他方、肝心の中身はいまいち面白くなく、なんなら読み切ってすらいない、多分。積ん読本は、主にkindle上に一定数あるが、人生において、買ったのに読みきらなかった(し今後も読まないであろう)本は「できれば〜」と「親不孝通りディテクティブ」だけである。(前者を読みきらなかったのはシンプルに面白くなかったからで、後者は親不孝通りというネーミングがイカすと思って買ったあと、普通に福岡の地名と知って気持ちが萎えたような薄ぼんやりした記憶がある。今調べたら後者のAmazonレビューは★3.5であった。今更に読む理由としては、少し弱い。)

しかし、そのタイトルに対する感動は本物で、就職活動中のとある面接で、座右の銘を問われたときに「できれば〜」と回答したこともある。なお、めちゃくちゃスベったし、ついでに選考自体もスベった。

「読みたいことを、書けば良い」も、久しぶりにタイトルだけで購入する価値があると感じたくらい、痺れた一節だった。なぜなら、自分の文章を読むのが好きだからである。これは大学生の頃に自覚した性質であるものの、むしろもっと前からそうだったのかもしれない。別に作文が好きだったわけではない。いつも読書感想文が苦手だった。しかし、もしかしたらツイッターを10年以上やっているのも、たまにこうして記事を書くのも、自分の文章を読み返すのが好きだから、という理由に他ならないのかもしれぬ。

「できれば〜」と違い、中身もそれなりに面白かった「読みたいことを〜」の中で響いたのは「面白いことを書きたければ、徹底的に調べ尽くして書け」というメッセージ。もし何も調べずに書くなら、自分のことや自分だけの実体験について語る文章の方が、誰でも書ける内容よりも、多分面白い。

しかし全く調べていない、まるで調べられていない、調べる気もない、これからもそんな駄文を書き続けるし、できればアフィリエイトリンクから買い物をしてほしい。現状、本blogは概算時給10円でお送りされております。餌が全く出ないボタンより、ごく低確率で排出されるボタンのほうが、サルの心を惹きつけるらしい、なんて話を思い出す。

しかし1年後の自分も、「自分が読みたかったから」書かれたこの文章を読んで、ニヤリとしてくれると信じている。

読みたいことを、書けばいい。 人生が変わるシンプルな文章術