I think so 思う

めざせもののほん

ソフ・ウィル・ダイ

人はいつか死ぬ。事実、死ぬ。

祖父が、もう永くない。かつてはいつまでも死なないようなバイタリティを感じる人間だったが、その活力は、数年前に病を患って以来、鳴りを潜めた。いや、至って普通の老人であるということがよくわかっただけなのであるが。今にして思えば、祖母が亡くなったことが大きな転換点であった。

おしどり夫婦というのかなんというのか、仲がいいのは知っていたが、ここまでとは思わなかった。夫が妻に先立たれるよりも、妻が夫に先立たれる方が、寿命に与える影響が大きい、というのは聞いたことがあるが、それを地で行く、といったところ。

実家の近所に、祖父の書いた絵が飾ってある。地域の子供達を見守ろう、という趣旨のポスターで、白黒の印刷に塗り絵の要領で描いた絵である。ある区画に複数枚かざってあり、このままいけば、祖父よりも、絵のほうが長生きするだろう。手先が器用な人だった。絵や字がうまく、そのいずれも、孫である自分に遺伝していなかったが、おそらく父にも遺伝しておらず、そもそも遺伝に期待するようなもんでもないが。

祖母の葬儀には、出ることができなかった。遺影に手を合わせたのは、葬儀の数日後である。祖母の遺影の前で手を合わせながら、泣きに泣いた。ドラマのように、涙が溢れてきた経験は、さほど多くない。その後、祖父と二人、煙草を吸った。久しぶりに吸ったと泣きながら笑っていた。細い細い、そして軽い煙草だった。こんなもの女が吸うよな煙草だが、今の自分にはちょうどいい、とも。灰皿が家になかったのだろう、空き瓶に水を張って灰皿の代りにして。二人で一本ずつタバコを吸い終えるまで、お互い、何も喋らなかったように思う。ただ、煙だけが立ち込めていた。思えばあの数分間が、祖父と孫、つまり大人と子供ではなく、男と男として、彼と向き合うことの出来た数少ない機会だったのだろう。あのとき自分の目の前で椅子に腰掛けていたのは、ばあちゃんを亡くして悲しむじいちゃんであると同時に、妻を亡くして泣く夫であった。

ロシアはイルクーツクバイカル湖を訪れた際、湖のほとりの高台に、日本人の墓地があった。祖母の親しい親戚が、シベリアに抑留されていたと聞いていたから、彼が当時親しくしていた友人が、もしかするとこの下に眠っているのかもしれない。そう考えると、人生のめぐり合わせの儚さを感じた気がした。

もうすぐ、ジジイはくたばるだろう。実家を離れて暮らす俺に、無理して葬儀に来なくてもよい、と父親は言う。だからその分、生きている間に、実家に帰る機会があれば、必ず顔を見せるようにしろ、と。このあたりの価値観が擦り合っているのが大変助かる。かつて、祖母の三回忌だったかで、坊主が10分ほど遅刻してきたことがあった。その際、父親の取った行動は、その分お経を短縮するように要求する、であった。無茶苦茶である。そしてそもそも遅刻してくるな。葬儀にしろ、法要にしろ、死者のためではなく、生きているもののために存在するのだと思う。遺影に手を合わせ、故人に思いを馳せるとき、救われるのは死者ではなく、遺された側である。

もうすぐ、祖父は死ぬ。どれくらいあとかはわからないが、俺も、死ぬ。そんな当たり前のことを、こうして言葉にして刻んでおきたい。悲しめるのも、遺された側だけである。